観念史と修辞学――加藤夢三『合理的なものの詩学――近現代日本文学と理論物理学の邂逅』


 文学と科学の関係性とその越境を語る言葉はいまやさほど珍しいものではない。しかしそうした風潮が文学作品に科学理論をあてはめ、また科学研究に文学的感性を発見して事足れりとするとすれば、それは科学性・文学性を実体-固定化し、現在の見地から過去の言説を裁断する所業をもたらすだろう。歴史研究は科学や文学といったカテゴリーが常に流動的であったことを明らかにしてきた。むしろ必要なのは、文学と科学を結びつけてきた人びとの〝心性〟への考究である。

 文学と科学の交錯が生じた場(トポス)に目を向け、その場に存在した葛藤や協働を浮かびあがらせる。加藤夢三『合理的なものの詩学――近現代日本文学と理論物理学の邂逅』(ひつじ書房、2019)はそのような試みである。その射程が1930年代に発し、石原純、横光利一、稲垣足穂、中河與一、夢野久作、さらに東浩紀、円城塔まで覆う歴史的な展望を持つとき、それは文学と科学という二項観念を辿る〝観念史〟の相貌を帯びる。

 1930年代、「科学的精神」という用語が跳梁した。唯物論研究会、科学者集団、中河與一ら文壇の間で論争が行われるなか、自らの正当性の担保として「科学」が要求された。しかし論壇・文壇の側は科学性が学術的知見の有無によって判断されること、つまりその権限が科学者に委譲されることを斥けるべく、「科学的精神」という観念を共犯的に作り上げたのであった。その結果出来したのが「「科学」性という価値尺度のあり方自体を、当の科学者の側から簒奪してしまうことにもなりかねない」奇妙な状況である。第一章「「科学的精神」の修辞学」では、文学と科学をめぐる論議がその正しさ如何を競うものではなく、「科学的精神」という浮動する概念の導入によって「修辞学的な問題系」に組み込まれた経緯が照射される。一九三〇年代の言説布置の「存立機制のあり方」にこそ焦点があてられているのだ。

 議論自体の成り行きが当の議論の存立機制をあきらかにする――ある意味でこうしたモデルは本書の「理論物理学」の内実の多くを占める量子力学と重なりあうモチーフかもしれない。ここに一貫してあるのは、「超越性を導く問いの構造が、何より秩序体系に内在する裂け目」としてあらわれることへの視線である。

 個々の作家作品を論じる各章でも、核心にあるのはそれぞれの達成や挫折というより、ある段階に存在した葛藤である。第六章「「ある唯物論者」の世界認識」では横光利一の『上海』――改造社版(1932年)と書物展望社版(1935年)のふたつのバージョンがある――における科学表象を「精神生理学的なもの」から「物理学的なもの」に捉え直し、その改訂過程を分析することで、「本来の「物理主義」が担っていたはずのパラドキシカルな論理構造」が「塗りつぶされ」、「「精神的なもの」をめぐるファナティックな信条」に接続されていく様がまざまざと描出されている。あるいは中河與一「偶然文学論」をとりあげた第七章「「合理」の急所」は彼が展開した「偶然文学論」を辿りながら〝合理の否定形〟ではなく合理のなかに「ひとつの場所を占める」ものとして解された「非合理」が単純な非合理へと均されて神秘の次元に接続されていく道程を析出する。

ここで指摘される戦時下の文学者たちの〝日本回帰〟はしかし戦争の昂進といった社会動向に起因するものとされるわけではない。あくまでも分析の焦点は思考のレベルに絞られ、いかにその論理構造のうちにそうした〝転向〟の気配が潜んでいたか、そしてどういった転換がその発芽を促したか――おそらく量子力学によって惹き起こされた合理と非合理の葛藤が均され消え去ったとき――に力点が置かれている。問題は作家をとりまいた社会的状況という外部よりも、あくまでも記されたことばの論理という〝修辞のレベル〟に発見される。文学と科学を論じる場は修辞学的問題を呼び込む機制を胚胎しているのである。

 ひとつの観念の歴史的変遷を辿る観念史の手法は、その観念を正しく定義することよりも人間の知がいかにその場その場で姿を変える修辞学的なものであるかということを露呈せしめる。思えば「詩とナチュラル・ヒストリー」を語るエリザベス・シューエル『オルフェウスの声』は詩的直観としての「神話的思考」に肩入れするようでありながら、人間の知の総体を詩的〝論理〟としてまとめあげる試みであった。ワイリー・サイファーの『文学とテクノロジー』が(本書と同じく)C・P・スノーの論説から筆を起して提示するのは、「公的計画」から引き剥がされた技術が文学との間に結ぶ豊かな婚姻関係である。そのエピグラフに引かれたジョン・ラスキンの言葉を紹介しておこう。「賢明なる芸術と賢明なる科学の間には、相互に助けあい、互いの威信を助長する本質的な関係が存在しているのである」。文学と科学の混淆・対立の場としての王立協会にまつわる高山宏の一連の著作(とくに『メデューサの知』)も、合理的知性のユートピアという〝パラドキシカルな場〟を経めぐる旅であった。その考察がナショナリズムへの視角も備えていたとすれば、「科学的精神」の隘路としての「日本精神」にも注意を促す本書への道は一直線につながり得るのではないか。

 これらの著作の本懐は文学性や科学性というよりは「人間の知」の総体への情熱にこそあった。近現代の日本という新たな視角から観念史と修辞学の可能性が改めて掘り起こされた。文学と科学が邂逅する場で輝きを増す人間の知のありようを探索するための入り口が、ここに新たに開かれたのである。


文責・山田宗史

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